検閲前夜のひらログ

おひまつぶしになれば、さいわいです。

水槽の脳

 寝支度をすませた最愛の宇宙人が電話をかけてきてくれるまで、半時間ほど待つ。私はすでに消灯した自室の毛布と毛布のあいだで、胎児の姿勢をとっている。母と妹いわく、寒いときの私の寝相は「丸」で、なるべく小さくなっている、ということらしい。こうするとよく眠れるのだ。

 しかしまだ寝てはならない。電話を取りそこねたくはない。とはいえ布団を出たくもない。そこで、たわいもない思いつきを書き散らして意識を保ちつつ、でたらめに文字列を産む訓練とする。

 気鋭のチップチューナーにしてわが最愛の宇宙人は、いつだったか、二度目の「疲れたら創作の畑においで」を口にした。私は魅惑の申し出を拒絶した。「そりゃ、私が漂う脳みそだけになれるんだったら、政治とか労働とかのことなんかぜんぶ忘れて、らくがきばっかりしたいよ。ぷかぷかしたい。にゃーん」とかなんとか、混乱ぎみに言ったのだった。

 「意見を述べるのに疲れたら、やめたらよろしい」を実践しかねるのは、その理屈が私には「(近隣住民の騒音に悩まされる人に対して)争いたくないなら苦情を入れなければよろしい」や「(資産をもたない人に対して)つらいなら働かなければよろしい」と同様に聞こえるからだ。これ以上の説明は不要だろう。

 彼はものわかりがよいので、脳みそになりたい私に「それは難しいね……」としょんぼりしてみせ、応酬は収束した。のちに、その日の食事がなんであったかは忘れたが、とにかくあたたかくてうまいものにありついた私たちは、平生のごとくすっかり上天気であった。

 ところで、私は水槽の脳ではない。私が水槽の脳なら、もっと自由で、明晰であるはずだからだ。

 いな、あるいは、不幸な水槽の脳かもしれない。制御下に置かれ、人間的悪夢を見せられている水槽の脳かもしれない。水槽の脳ならば生身の肉体より高い性能を誇るともかぎらない。

 私は水槽の脳ではない。これはいまや、悲鳴にも近い願望である。水槽の脳が、ごく短いソースコードを読みとけずにふて寝を決め込むほど冴えないやつでいいのか。水槽の脳が肉体をもつ夢を見るなど、そもそもこの仮説はいろいろと、なんだ、ずるいじゃん。

 おそろしさのあまり目が冴えてきた。このままならぬ肉体、証明はできない実存、冷えきった足先を、空いた右手できつくつまんでいる。