検閲前夜のひらログ

おひまつぶしになれば、さいわいです。

消去法の転職

 理想の就職などというものは、私にはなくて、というのも、私の理想は、就職せずに生涯を閉じることなのだよね。と、最愛の宇宙人との通話中に夢を語ったところ「就活生に言わないで」とへなへな笑われた。それから「でも自分は入りたい会社に入れたら仕事をがんばると思う」とつづいたので、安堵した。まぶしくもなった。働きたくて働くなら、それにこしたことはない。

 働きたくない──働くことが、他人たちとまじわることを含むかぎり。私は怠惰で薄情で神経質だ。机上の作業なら、ひとりで頭を使うことなら、いくらでもする。しかし、凡才でもじゅうぶんな収入を得られる仕事の大部分は、そんなに閉じたかたちをしていない。

 いま、私はエンジニアへの転職をめざしている。消去法で導き出した職種だ。働くことにつきまとう自身にとっての不愉快を書き出し、耐えがたいと感じる順に並べた。エンジニアになれば(むろん、会社選びも間違えなければ)回避できそうな項目がもっとも多かったのだ。わが就職活動の指針はつねに消去法である。なぜなら、消去法によって働くことを選んだからだ。

 今年に入ってすべりこんだ二社目でも、他人たちと私とでは、準拠する文法がことなる。弊社代表は根性論信仰があつく、コロナウイルスには体を鍛えていれば感染しないとでもお考えで、従業員の生命や生活について言及したことがいちどもない。この件に関しては極端なサンプルに出くわしてしまったと言うほかないが、この環境にとどまりつづける従業員のつかうことばにも、私はなじめない。献身的な、非科学の、前向きなことばをありがたがってみせる善良さが、私をいらだちと自責のあいだに沈める。

 自身の狭量ぶりにはみずからへこみんしきりだが、罪悪感を抱かせるような環境は、だれにも悪意がないとしてもただただ合わないということにつきるので、やはり出てゆく。このことは家庭にて学んだ。どこへゆこうと、壁に頭をこすりつけるような思いをしつづけるのだろう。つかっている文法においておおむね一致をみるのは、稀少な友人と恋人くらいだから。

 問題は、怠惰な私が〈消去法の転職〉をがんばれるか、ということで、ぜんぜんがんばれてないです。働きたくないもん。なんかもう、買っておいた生ハム手づかみで食べて、シオラン読んで、お風呂はあしたにして寝るか。

 けっきょくその晩は入浴した。電話する約束ができたから。そこで最愛の宇宙人は「大学院に行きなよ。おもしろいよ。向いてるよ」と言った。そのときから私は消えかかったひとすじの光を見ている。

 大学院がおもしろいか、私に向いているか、実際のところはどうでもよろしいのだ(それに、私をよく見ている彼のいうことだから、きっと会社よりはおもしろいし向いている)。そこが沃野であれ荒野であれ、まだ転がり込める先が残っているという状態を希望と呼ぶ。いつもみたいに、いやならやめるだけだ。

 くりかえすが、問題は、私自身の動きだそうという気力ひとつである。なにもがんばりませんが、どうにもならなくなったら、なんとかやってみるほうの人間だと自認しています。がんばりたくありませんが、なにかしらします。ごきげんよう。