検閲前夜のひらログ

おひまつぶしになれば、さいわいです。

怒ることを覚えなさい

 わが永遠の課題、それは思い出して怒るのをやめること。「やめろ」「私はいやだ」「その表現は不適切」等々を瞬発的かつ明示的に出力すること。

 怒るのが好きな人って、まあ、そんないないとおもう。私だって好きじゃない。きもちよくなるために怒っている他人の姿を見るのって最悪だよね、そんないないけど。ただ、怒る人を責められる立場にはない。私は反対に〈きもちわるくなるのがいやで怒らない〉態度を取りがちだから。家庭内や、かつての友人たちのあいだで。内心は軽蔑したり絶縁したりしてる(きっと、されてもいる)。疲れたくないし、悲しくなりたくないし、めんどうくさいからね。

 でも、それって、むやみに怒る行為より目立たないから批判もされにくいけれど、じつは有害きわまりない。おおげさじゃなく差別の温床なんだよね。えてして「あ、これウケるんだ」「◯◯とか言っても大丈夫なんだ」を増長させるから。東京五輪組織委会長のごとき怪物も、かくして誕生せりといえよう。

 でもでもやっぱり、なにかしらを悪しざまにいうと、反芻するたび、魚の骨を飲み込んだような引っかかりを覚えてしまう。投稿を削除して、すっかり忘れてしまいたくなる。本来の意味においてナイーヴである証拠だ。すなわち世間知らずだ。規則を守って勤勉に働けばだれだって「人並みの暮らし」くらい叶うと、いつか志ある人が世の中をよりよくしてくれるのだから目先の楽しみで頭をいっぱいにするほうが得策だと、まだどこかで期待している。内閣総理大臣のごとき怪物も、かくして誕生せりといえよう。

 だから〈怒らない〉ほうを選ぶ。選べるのは、怒らないですむのは、特権階級だけだ。黒人が「BLMとかもういいわ、見飽きたよ」っていえる? 在日コリアンが「ヘイトスピーチは言論の自由でしゅ」っていえる? そのような妄言で命がけの抗議を矮小化するのは、きまって安全圏にたむろする外野だ。不当に逮捕されたことも、警察官に暴行されたこともない。国籍や教育の機会を奪われたこともない。

 「やっぱ韓国こわいっすね」「これセクハラになっちゃうかな」。私は黙っている。めんどうくさいから。正さなくても、困らないから。──ほんとうに? いまの私が平気でも、他の人は、生きねばならない未来は? 「いまのはだめだよ」「それはおかしいよ」って止めなかったあと、魚の骨を飲み込んだどころか、からだに棘が生えたみたいな気分に陥る。レイシストになり果てた世帯主のごとき怪物も、かくして誕生せりといえよう。

 私よ、怒るべきときに怒ることを覚えなさい。怒る人は、狭量なのではない。不幸でもない。むろん下等でもない。高潔な怒りが民衆に権利を勝ち取らせた。そろそろ怒るのめんどくさいとかダサいとかいった愚劣な認識を改めよう2021。私よ、口を開くのがいやになったら、恐れをなしたら、愛してやまない『お嬢さん』のスッキを思い出せ。沈黙と冷笑を破り捨てよ。

 怒る/怒らないの基準を、気分や損得ではなく、内なる倫理に置くんだ。ツイッターで吠えるだけじゃ、ラブいフォロワーとラブを深めあう以上のききめはない(それはそれでつづけたらよい。つぶやきは意義を求めるべきものと決まっているわけではないし、なにを愛しなにを憎む人間であるか互いに知るいとなみは健康上必要だから)。正しいと信じることを、書く以外の方法でも表明するんだ。この肉声で、態度で、行為で。