検閲前夜のひらログ

おひまつぶしになれば、さいわいです。

ノン・ノンケ

 いまさら東京事変のOSCAとペトロールズのO.S.C.A.を交互に聴いている。情緒がおしまいになるのをわかって聴いている。

 椎名林檎と長岡亮介の口から「ノンケ」の一語が吐きだされるそのたびに、なんどだって律儀に、おしまいになる。慣れなよ。閉じるというか、乾くというか、ふいに締め出される感じ。楽曲の後半にやっと出てくるものだから、もっとも効果的なタイミングで興を削いでくれる。連れ去られて、盛り上がって、はいりこんで、ここまできたのに、どうやらお呼びでなかったらしい、と判明するこの感じ。ぼくノンケじゃないんで。バイなんで。

 BLACKPINKのWHISTLEでジスが「ヘイ、ボーイ」とささやいた瞬間のおしまい感によく似ている。シスジェンダー・ヘテロセクシャル女性のなかにも「わたしボーイじゃないし……」に陥ったファンは少なくないんじゃないかな? そんなことないのかな。ノンケじゃないからわかんない。そのあたりの機微は、女のアイドルが好きな女の同志たちに教えてほしい。あれもくりかえし聴いた。ほとんどおしまいになるために。でも、最初に告げてくれるだけ親切だ。

 ここで歌詞のよしあしに言及するつもりはなくて、これはいつもの趣味を露呈するだけの日記です。あくまでサウンドの構成要素であって意味の伝達を主目的としない歌詞というものを、あえてつまびらかにして論じたてる意欲はないし、この曲においてはとりわけ音遊びとしての側面が大きいだろうから。たんに「ぼくノンケじゃないんで」といじけているだけだ。

 にしても、ノンケだけが「摂理」にもとづいてデザインされた存在であるというならそれはノンケの傲りだよ!

 作中の表現とパフォーマーのアイデンティティとを等号で結びつけるのは粗野で堪え性のない読み手のふるまいであるというのは承知の上で、「あ、この人ヘテロセクシャリズムの信徒かな」と推測できちゃったときのおしまい感もOSCAを聴きながら味わった。歌手や作詞家のセクシュアリティはむろん知るよしもないが、少なくともOSCAの主体はノンケなわけで、ノンケ・ナンバー(そんな呼称はない)を上機嫌に演奏できるバンドたちなわけでしょ。私のことはお呼びでない。聴衆のなかに私はいない。

 じゃあどうしろと? っていったらべつに、OSCAに異議申し立てをしたいわけではなくて、どうしようもなく、しみじみ確かめている。ノンケがノンケを歌うのは必定と。クィアのクィアによるクィアのための詞はクィアである私自身が産みだすほかないと。曲を書いてみたいな。ノンケイズム(そんな呼称はない)へのカウンターとしての一曲を。

 そういえば、リル・ナズ・XのINDUSTRY BABYがよかったです。